ダーウィンの日豪関係の素晴らしい話

2015-04-13

私のダーウィンに住んでいる友人からの便りです。藤田サルベージという会社が今日のダーウィンと日本の素晴らしい関係を築き上げてくれました。友人がつくった動画も是非とも観て下さい。僕の使命はダーウィンに日本人観光客をお連れする事だと気付きを頂きました!

YouTube で 「藤田サルベージ」で検索して下さい。

ダーウィン慰霊祭 053

ダーウィンからの便り④
1959年、ダーウィン港ではまだ戦禍のが色濃く残っていました。満潮時でも、空爆によって沈められた船の残骸が水 面に浮き出、爆破された桟橋がそのままになっている状態でした。
これら沈没船が船の航行の邪魔になるということで、北部準州政府が引き揚げを計画したのですが、ダーウィン港の潮の速さと低い透明度のため 困難で、技術的に可能だったのが日本の会社である藤田サルベージでした。
これは何とも皮肉なことで、当然のことながらオーストラリアや米国からの大きな反発がありましたが、しかしそれを覆したのはダーウィンから でした。
シドニーやメルボルンの港湾労働者が一斉に反対したのに対し、ダーウィンの港湾労働者たちが少々荒っぽい調子で「ダーウィンは多文化都市で あり、日本人とは戦前からの長い付き合いがある。事情を知らないものが口を出すな」と答えたのだそうです。
そうは言っても作業当初はやはり対日感情は悪かったのですが、現地における従業員120人の2年にわたる勤勉な働きぶりと、その礼儀正しさ により、地元住民の警戒的な態度は徐々に友好的に変わったようです。
特に海中に沈んでいたブリティッシュ・モータリストを引き上げて改造し、従業員の住居に使うという発想と、それを可能にした技術が高く評価 されました。
このように地元の信頼を得た後は、技術的に難しかったために放置されていた地上の残骸の撤去も依頼されたそうです。またダーウィン沖の真ん 中に沈んでいたUSS Pearyは水深が深いため作業が困難で採算が取れないということで当初契約に入っていなかったのですが、執行官ロ ジャー・ノット氏の「日豪親善事業としてやってくれ」と言うたっての願いにより、期間を延長し、損得を度外視して作業を敢行したのだそうで す。
当時の様子が写真に残っており、海上に浮かぶ錆びた沈没船の上で、美しく着飾ったVIPの方々が談笑しているというのは興味深いコントラス トです。ゲストの中には当時のメンジー首相夫人やドイツ大使も来られ、皆さんこの風変わりな“船上パーティー”をたいへん楽しんだ様子が伝 わってきます。
日本人の、できる限りのおもてなしをしたいという気持ちと、オーストラリア人の何でも楽しもうという明るい姿勢があいまって親善が深まった のでしょうか。
一番被害が大きかったダーウィンからいち早く日豪友好が始まったことに、ダーウィン住民として誇りに思うとともに、在豪日本人として先人の 努力を引き継いでいきたいと思っています。



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