WHビザから学生ビザへ 車椅子で過ごすオーストラリア体験記

2013-10-31

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2011年2月26日、僕は成田空港に母親と友達といた。
不安はあまりなかったものの緊張はしていた。多分、飛行機が怖かったからだと思う(笑)

オーストラリアは僕にとって海外二か国目になり、一人で飛行機に乗ること自体は初めてだった。
トイレや車いすのなどの問題でスムーズに行くように日本の航空会社を選んだ。
車椅子の場合、通常乗客より先に案内される。
飛行機搭乗口まで自分の車椅子で行き、そこからアイルチェアーという機内専用の車椅子に乗り換える。
アイル(aisle)とは「通路」という意味で、その名の通り機内の通路を通るだけの車椅子なので幅がすごく狭い。
自分の席までシートに手がぶつからないように腕を胸のところで組んで運んでもらう。
僕は手を組んで祈っていた「飛行機が落ちませんように」と・・・。
席に着き、キャビンアテンドから注意事項などを聞き、乗客が全員乗ったところでTake off!!

僕は予約時に、トイレが一番近い席を用意してもらうようにと航空会社に手配しておいた。
仮に遠くても、キャビンアテンダントがアイルチェアーを用意してくれて連れて行ってくれる。
飛行機の中はやはり怖く、9時間のフライト中4時間くらいしか寝られなかったと思う。
若干寝不足なまま無事オーストラリアのシドニー空港に着陸。
そこからエージェントの方に迎えに来てもらい、その週の予定を聞いた後ホームステイ先に送ってもらった。

6週間「Narraweena(ナラウィーナ)」という町でホームステイをさせて頂いた。
着いた瞬間を未だに覚えている。
エージェントからは「玄関前に段差がある」と聞いていたが、それが予想以上に高かった。
けれど、ホストファミリーはすぐに何すればいいか聞いてくれて、家に上がるのを手伝ってくれた。

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街に出ると、段差がある時や買い物中、人々は「何か手伝いが必要か?」と向こうから僕に聞いてくる。
買い物であれば「あれを取って欲しい。」というと「ほかに必要なものあるか?」と聞いてくれる。
なんだか町の住民全員が介護者のような錯覚さえしてしまう程で、バスに乗る際は全てのバスではないけれど写真のような折り畳み式スロープがで準備されていて運転手さんが設置くれる。

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席は車椅子用のスペースがあるのだが、一応そこも折り畳み式の椅子があり健常者も座れる。
けれど車椅子の人達が乗ると、すぐにそこに座っている人たちが立ち上がって、椅子を折りたたんでくれて席を「笑顔」で譲ってくれる。
日本の場合、運転手が「車椅子の方が乗られますので席を移動して頂けますか?」と言ってから席を移動するのがよく見られる光景だ。

電車では、シドニーはホームと電車の幅が高かったり広かったり、駅によっては階段しかないところもあるので、日本と同じように必ず駅員に行きたい場所を伝えてスロープ(英語では「rampランプ」)を用意してもらう必要がある。

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たまにあることなのだが、シドニーでは連絡ミスで駅員が迎えに遅れることがある。
その時、ドア越しにキョロキョロしていると「ここで降りたいのか?手伝うよ。」と乗客が手伝ってくれる。
人数が足りない時にはそこにいる乗客同士が「彼を降ろすのを手伝ってくれ。」と言って僕を降ろしてくれたりもした。
日本ではこういった経験は一度もない。

僕は「なぜシドニーに住んでいる人はこんなに優しいのか?」とホストファミリーのお父さんに聞いてみた。
かつてはシドニーでも障害者に対する差別はあったとのこと。
徐々にそういった事は良くない事であると気付き、特にオリンピック開催がシドニーに決定してから町中をバリアフリー化し、人に対してもっと優しく、困ったときは助け合おうという思いが強くなったと彼は言っていた。
彼は「君が困った時、僕らが君を助けてそれで君が幸せなら僕らも幸せなんだ。」と言った。

シドニーに来て1週間後から語学学校に通い始めた。
僕の通った学校はシドニーに二つの校舎があり、最初の5週間はホームステイの関係上家の近くの学校に通う事になった。
その学校は校舎もトイレもバリアフリーであるし、先生達もフレンドリーだった為に通う事に決めた。
初めはあんなに多くの国籍の人達に混じって自分の英語が通じるか不安だったけど、みんな不安だったと分かって一気にリラックスできた。
僕は中級クラスの「Intermediate」から始まった。

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ホームステイ先が6週間の契約だったので、その2週間前から僕は家探しを始めた。
1件目はメールをやりとりしていたら、数日後先約が決まってしまったとのメールが来たので次の家を探した。

次の家は日本人オーナーで自分が車椅子だということを伝えると「数日後に見学に来て。」と返事をもらった。
数日後、僕はホームステイ先から1時間半かけてその家にバスと電車を使って見学に行った。
最寄駅もバリアフリーで家は駅から徒歩10分。
その家は段差もなく、家の中も想像以上に広くて車椅子で移動しても問題ないくらいだった。
オーナーはその時他に2件の見学予約を持っていたので、その時点で僕との契約はできなかったけど、僕は必死に住まわしてくれるようにお願いをしてホームステイ先に帰った。
数日後、そのオーナーからOKの返事を頂き、晴れてあの素晴らしい家に住めることになった。
シドニーに住んでいる間、何が一番不安だったか思い出せば、家探しだったかもしれない。

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その後最初のホストファミリーに「ありがとう」を言ってお別れして新しい家に引っ越しをした。

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それに伴い、学校もシティの方へ転校した。
同じ学校なのに雰囲気がまったく違っていて初めは戸惑ったが、また新たなスクールライフを楽しみ、新しい国籍の友達とも知り合った。
通っていた学校は5週間ごとにレベルアップテストがあり、上のクラスに行く為に自分なり一生懸命勉強した。

学校で知り合ったそれぞれの国籍の友達から、彼らの国がどんな国かやバリアフリーの事、その国の障害者の事について聞いたりもした。
その答えから、自分が予想していた以上に貧困の国だった事がわかったり、日本は環境的に恵まれている事が分かった。
日本は道が凸凹でもないし、だいたいの駅にはエレベーターが設置されており、多くの建物にはスロープがある。
しかし、僕が聞いた中ではヨーロッパのイタリア、スペイン、フランス等は道路がブロック状である為、通る際は車椅子ではガタガタ揺れたり、建物には階段しかない、バスにスロープがない等まだまだ多くの課題があるそうだ。
そういった面で、シドニーはかなり設備も整っており非常に暮らしやすい都市だと思う。

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初めはワーキングホリデービザで学校に行っていたものの、このビザでは同じ学校に4か月以上通えないとの事なので、新たに12月半ばまで学校を通う為の申請をしてスチューデントビザに切り替えた。
この際、ビザを切り替える為に健康診断を受けなければならなかった。
ピザの食べ過ぎで若干体重が増加していたものの、何事もなく無事申請がおりてスチューデントビザを手に入れる事ができた。

シティに転校して5週間後、上から二番目の「Higher Intermediate」というクラスに上がることができた。
このクラスの次の一番上の「Advance」というクラスに行くのが本当に難しくて「higher Intermediate」に15週間いたが、その間にしっかりと基礎を叩き込むことができた。
友達もこの時期に沢山できて、放課後は復習も兼ねて友達と話して楽しんでいた。

9月になり、先生の推薦もあって「the Cambridge CAE」という「Advance」クラスより密度の濃い、非常にハイレベルのコースを受ける事になった。
その当時、クラスに日本人は僕一人しかおらず、周りは英語がよくできる人ばかりでかなり不安であった。
見た事も聞いた事もない単語がいっぱいあり、ついていくのに必死であった。

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受講6週間後に学校内で模擬テストがあり、僕はあまりいい点数が取れなかった為、一つレベルを落として「FCE」コースを受けたいと先生と相談して、翌週から「FCE」コースに移った。
しかし、レベルは一個下でも非常にレベルの高いコースであった。
計12週間「CAE」と「FCE」で勉強して12月初旬に両方のテストを受けた。
テスト後は一気にプレッシャーから解放され、テスト後残りの2週間も「Advance」クラスで勉強して、学校を卒業した。
学校から「Student of the month」という最優秀生徒賞も頂き、本当に素晴らしい約10か月の学校生活を送ることができた。

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卒業前日に日本から友達が遊びに来てくれたので、卒業翌日から僕らは「Blue Mountains National Park」という世界遺産にも登録されている国立公園に電車で2時間かけて向かった。
多くの人はツアーを利用して行く場所だが、僕らは行きたいところ自由に行こうと単独で行く事にした。
そこは木がうっそうと生い茂っているが、木でできた広い道があるので車いすでもある程度奥深くまで入ることができる。
手つかずの自然でジャングルを思わせる鳥の鳴き声や、見たこともない植物を見る事ができ、空気が澄んでいたのでリフレッシュできた。

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クリスマスの次の日からは、まさか自分の人生で行くだろうと想像もしていなかった、エアーズロックに単身で向かった。
日本とは全く違う、赤土の大地、周りには高い建物なんてない、あるのは岩と植物だけ。
実際、エアーズロックの近くに行く事はできなかったが、遠くからでも何とも言えない威厳をエアーズロックから感じた。
あれがパワースポットと言われるものだろうか。
夕日は今まで見た夕日の中で一番綺麗だったし、夜は天の川が見ることができ、幸運にも流れ星も一個見ることができた。
2泊3日はあっという間に過ぎていった。

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そして2012年をシドニーでバーベキューをしながらルームメイトと花火を見ながら迎えた。

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1月11日はルームメイト同士が僕のさよなら会をしてくれた。
オーナーをはじめ、彼らには本当に感謝している。
英語を教えてくれたし、困ったときは手伝ってくれたし、なによりも陽気な性格が僕をリラックスさせてくれた。

1月12日は仲の良い日本人達と最後の夕食を共にして、翌日日本に帰国した。
僕はシドニーでかけがえのない経験をした。
人に対しての感謝の気持ちがより強くなり、エージェントの方々、友達、ルームメイト、そして家族には本当に感謝している。
車椅子に乗っている僕でもやれば何でもできるということ知り、実際、目標を立ててそれに向かって努力することが大事だということを再確認できたことが今回渡豪で得た一番の収穫だと思う。
今後多くの人がオーストラリアに行って、何か一つでも感じられる事ができたらと思う。
その為のお手伝いみたいな仕事ができたらいいなと思う自分が今いて、現在どうしたらいいか模索中である。
ただ、自分ができると思ったら何でもできるのだ。
ありがとう、オーストラリア。

岡田より

たいへん詳細な体験記ありがとうございました。
近藤さんは、彼の体験を小学校から高校の生徒さん達に話したいとのことです。もし、この記事を見て興味のある学校関係者の方、連絡をお待ちしております。

岡田 繁(おかだ しげる)

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1961年千葉県白井市出身。日本体育大学卒業後、ワーキングホリデーでオーストラリアに1年間滞在。渡豪回数は100回を越え、オーストラリアが大好きな家族と共に新たな事に果敢に挑戦し続けている。現在メルボルンへの2ヶ月間の武者修行中を終えて日本国内で活動中。夢はオーストラリアに会社と家を持ち、日本と行き来すること。

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